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これはビックリ、祝!DVD発売(済); スクリーンを駆け抜けたクルマ達 ~激走!5000キロ

今回は久しぶりにお友達のFZIROさんへ勝手連です。


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かつてのジャンクマンの国内盤DVD同様、その知らせはまたしても情報誌やネットではなく会社の同好の士によってもたらされました・・・。


ある日職場の休み時間中―。


Ponys41「それにしてもこれだけ色々DVDが発売されているのに、なんで激走!5000キロの国内盤DVDは出ないのかね~。」


S氏「あれ?激走!5000キロのDVDって発売されてるでしょ?僕の友達はみんな買ってたよ・・・。」


Ponys41「え゛っ・・・(絶句)。」


・・・と言う事で、そうなんです。発売されていたんです。カーチェイスムービー・・・というか元祖非合法公道レースムービー(?)の傑作、 ”激走!5000キロ(原題;THE GUMBALL RALLY)”の国内盤DVDが・・・。と言ってもこのDVD、何処でも買えるという物ではありません。実はTUTAYAさんがDVDオンデマンドというシステムで限定販売している物なのです。どういうシステムかというと、顧客が注文してから製品を製造するといういわば受注生産で、大量生産されにくいカルト作やマイナー作品をDVD化しようという企画です。媒体はDVD-Rのようです。


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激走!5000キロと言えば子供の頃に劇場で観て大好きだった作品。長い間国内盤DVDが発売されなかったので当方も早速注文しました。受注後3~12日以内に届くと言う事でしたが、当方の場合注文から1週間程度で手元に来ました。画像はサイズが4:3のテレビサイズ、字幕はON/OFFが出来ないという仕様で、どうやらかつてのVHSソフトの内容をそのままDVD化したもののようです。画質もリマスターされたDVDのそれを期待する事は出来ませんが、中古のVHSが物凄いプレ値になっている本作、新品で買えるだけでも本当に有難いと言えそうです。


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↑この2台が並ぶとそれだけで嬉しくなってしまう当方であります(笑)。


作品のストーリーは至って単純。ガムボールの製造販売会社を経営するバーノン(マイケル・サラザン)がアメリカ大陸横断の非業合法レースを企画、昔からの悪友スミス(ティム・マッキンタイアー)をはじめクルマ好き、スピード好きの面々が集まりニューヨークからロサンゼルスまでの5000キロを文字通り大激走するというもの。そこに彼らの逮捕に執念を燃やすロスコー警部(ノーマン・バートン)が絡んでフリーウェイは大混乱に・・・。作品にはイタリア人レーサー役のラウル・ジュリアやカマロのスタントマンの相棒、ギブソン役のゲイリー・ビジーなど名の通った俳優も出演していますが、全体としは典型的な’70年代のB級カーチェイスムービーの趣です。非合法ストリートレースのお話ですが、全体のトーンはほのぼのしていてユーモアもあり楽しく観られる作品です。


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↑京商のコブラ427S/Cは過去にもご紹介済ですが、”激走!5000キロ”のDVD発売を記念して再登場です。ブルーメタリック単色のボディカラーが嬉しい1台。ミニカーには特に年式の表記はありませんでしたが、映画の劇中車に合わせておきました。


主人公バーノンの愛車は’66年型のシエルビー・コブラ427, ライバルスミスのマシンはフェラーリ365GTSデイトナスパイダー。映画の製作当時でも希少車だったであろうと思われますが、今日では垂涎のヴィンテージカー2台が洪水調節用の水路で水飛沫を上げながら爆走してしまったりするのですから、それだけでも見る価値があります(笑)。撮影にはどちらもレプリカではない本物が使用され、激しいアクションによる損傷もあったとの事。(コブラは1部レプリカも使われたらしい・・・。)その他錚々たる名車や珍車が登場しますが、その辺りはお友達のFZIROさんのコチラの特集を是非合わせて御覧下さい。ジャガーEがスタート出来なかった理由など、色々興味深い情報満載です。


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↑赤のデイトナスパイダーはディテールカーズ製。プロポーションは中々良いと思います。トレッドが広過ぎでタイヤが飛び出して見えるのがちょっと惜しい。。。映画の劇中車はワイヤーホイールではなく5本スポークのホイールを履いていました。


ご紹介しているミニカーは主役級の2台。シェルビーコブラは京商の427SCでかなり初期の物です。つい先頃も再生産されましたが、ブルーメタリック単色は初期ロットにしかなかったかも知れません。旧い製品ながら凝った作り込みがなされていますが、何よりこのブルー単色のボディカラーが当方にとっては重要な点でした(笑)。対するフェラーリ・デイトナ365GTSはディテール―カーズ製。デイトナというクルマも様々なメーカーから製品化されていますが、一般的な価格のダイキャストでは「これだ!」という決定版がなかなか見つからないように思います。そうした中ではこのディテールカーズ製はベルリネッタ、スパイダー共に良い線を行っているではないかと思います。このキャストは後にマテルブランドでも再生産もされました。


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・・・当ブログのサイドメニューにも掲示していますが、往年のカーチェイスムービーもかなりの部分がDVD化されました。ここまで来ると、後はマルホランドラン、フェラーリの鷹、爆走!キャノンボール(デイビッド・キャラダイン主演)、ノーマンズ・ランド、TV版リメークのバニシングポイント、辺りをDVD化して欲しくなります。皆さんがDVD化して欲しい作品はなんでしょうか?


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ミニカー・コラム・シフト Vol.12 ~ご冥福をお祈り致します。

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↑今回はトップ画像に入れるべき言葉が見つかりませんでした・・・。


人間は永遠に生き続ける事は出来ません。いつかこういう日が来る事が分かっていても・・・やっぱりこの日は来て欲しくなかった―。2012年5月10日、テキサス州ダラスにてキャロル・シェルビー氏が亡くなりました。享年89歳。


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↑キャロルシェルビーは’59年のルマンでロイ・サルバドーリと組んでカーNo.5のDBR1/300をドライブ。見事アストンマーチンに初の総合優勝をもたらしました。この時のアストンマーチンのチームマネージャーが後にフォードGTプロジェクト初期に活躍し、更にJWAでガルフカラーのGT40を'68, '69年と連続優勝に導いたジョン・ワイヤーでした。モデルはイクソ製。


レーシングドライバーとしてルマン24時間レースの優勝経験もあり(’59年DBR-1をドライブし、アストンマーチンに初の総合優勝をもたらした。)レーシングドライバーを引退した後はコンストラクターとしてコブラやGT350/GT500などの名車を世に送り出したキャロル・シェルビー。中断の後にビジネスを再開し、近年もシェルビーGT500などをプロデュースしていたのはご存じの通りです。


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↑’66年のルマンで活躍したフォードGT Mk-2。敢えて2位となったケンマイルズのマシンをチョイスしました。今頃再会して昔の事を語り合っているかも知れません。モデルはイクソ製。


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↑'67年の優勝マシン。カーNo.1のMk-4。'65年からフォードワークスの指揮を執ったキャロル・シェルビーは'66年、'67年と、2年連続でフォードGTを勝利へと導きました。モデルはイクソ製。


先のフォードGT40特集でも記した通り、’65年からフォードワークス活動を指揮し、’66年、’67年のフォードGT Mk-2, Mk-4によるルマン制覇にも大きな貢献を果たしました。フォードGTプロジェクト始動に際し、フォードにジョン・ワイヤーを紹介したのも、アストンマーチン時代からの知り合いであるキャロル・シェルビーであったと言われています。


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↑言うまでもなく彼の生み出した最高傑作とも言うべきシェルビーコブラ。モデルはグッドスマイルレーシングの427S/C。


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↑コブラをベースに誕生したデイトナクーペ。'65年にはルマンでGTクラス1位、総合4位を獲得。モデルは京商製。ルマン仕様ではありません。


元々、レーシングドライバーを引退しなければならなくなったのも狭心症が原因であり、’90年には心臓移植手術を受けていたと言う事ですから、89歳と言う年齢は大往生とも言えますが・・・。やはりアメリカの自動車史に偉大な足跡を記した人物の訃報は悲しいです。ご冥福をお祈りしたいと思います。


(出来る範囲で・・・)総力特集!! フォードGT40 Vol.2; 1964年 ルマン24時間レース初参戦。

1964年、フォードGTはいよいよにルマン参戦。・・・果たしてその結果は!?


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1963年のプロジェクト始動から11か月という短期間で開発されたフォードGT。1964年のニューヨークショーでプレスへのお披露目が終わるや否やヨーロッパに送り返され、4月18日のルマン・テストデイに参加する事になりました。完成の遅れやニューヨークへ空輸してのお披露目などドタバタの結果、それまでの合計走行時間は僅か4時間余り、高速走行の経験はゼロと言う、ほとんどぶっつけに近い状態でのチャレンジとなりました。


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↑4月18日のルマンテストデイに現れたフォードGT。冷却性能向上のためノーズに開けられた開口部など、プレス発表時とは微妙なディテールの違いを見せます。モデルはプロトタイプと同じビザール製レジン完成品。


ここでフォードGTの基本的な構成を簡単におさらいしておくと、メインモノコックはツインチューブ式でルーフまで全てスチール製。ルーフに大きく切れ込んだドアと前後カウルはFRP製。サスペンションは前後ダブルウイッシュボーン、エンジンはこの時点では255cu.in(4.2L)のOHV V8で350bhp/7200rpmのパワーと37.4mkg/5600rpmのトルクというスペック。運転席後方にマウントされ、イタリアコロッティ製の4速MTを介して後輪を駆動するミッドシップレイアウトを採っていました。尚、GT40という車名はフォード社の正式呼称ではなく、車高が40インチ(最終的なスペックでは40.5インチ=1,030mm)である事からこうに呼ばれるようになったようです。


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↑ビザールでは’64年のフォードGTをプレス発表時のプロトタイプ、ルマン・テストデイ、ニュルブルクリンク1000kmレース、ルマン本戦仕様と完璧にフォロー。細部ディテールの違いを見事に再現しています。カーNo.10、102号車はクラッシュしたものの修復され、10月の本戦に出場しました。


テストデイには101号車・カーNo.11と、102号車・カーNo.10の2台、ドライバーはロイ・サルバドーリとジョー・シュレッサーという陣容で参加。しかし開発を急いだ上にまともな試験走行の出来ていなかったフォードGTの走りは安定性を欠いていました。その大きな要因はサスペンションセッティングとボディの空力性能で、ドライブしたサルバドーリの報告によると、長いミュルサンヌ・ストレートで時速273.6km/h走行時にリアホイールが空転したとの事です。結局このテストデイでは2台共にクラッシュ。ドライバー達は幸いにも軽傷で済みましたが、記念すべき第1号車の101は大破してしまい、レースデビューする事無く廃車の運命を辿りました。


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↑テストデイ時と本戦時の102号車。サイドビューで見ると前後スポイラーの有無やフェンダー前端のサイドマーカー等の差異がお分かり頂けると思います。


そして来る1964年11月、フォードGTはいよいよルマンに初参戦。この年フォードは3台のGTをエントリー。102号車・カーNo.10がフィル・ヒル/ブルース・マクラーレン組、103号車・カーNo.11がリッチー・ギンサー、マスティン・グレゴリー組、104号車・カーNo.12がリチャード・アトウッド/ジョー・シュレッサー組という陣容でした。この年のフォードの戦略はNo.10が打倒フェラーリの本命、No.11はフェラーリ陣営をオーバーペースに巻き込んでメカニカルトラブルを誘発させる役割、No.12は堅実に走ってとにかく完走を目指すという分担となっていたようです。


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↑ビザールのルマン本戦仕様モデルは、大きくなったフロント開口やレイアウト変更されたランプ類、前後スポイラーなどを的確に再現しています。かなり闘うレーシングマシンらしい容貌に変化している事が分かります。カーNo.10はエースとも言うべきフィル・ヒル/ブルース・マクラーレン組の102号車。No.11(103号車)、No.12(104号車)も製品化されています。


フォードGTはテストデイでの苦い経験を基に各部を改良。デビュー戦のニュルブルクリンク1000kmレース時には冷却性能向上のためドライビングランプがフロント中央からヘッドランプ下に移設され、中央部には大きな開口が設けられました。また、テールリフトを抑える為、リアカウル後端はスポイラーが追加されました。ルマン参戦時には更にフロントにもスポイラーを追加、リアスポイラーはカウルと一体化され、サイドマーカーをフェンダー側面に移設するなどの改良が施されていました。


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↑テストデイから本戦へ、大きく変貌を遂げた102号車。実車の仕様変更を忠実に再現している辺りはレジン製モデルならではと言えましょうか・・・。


予選ではNo.11のギンサーがジョン・サーティースのフェラーリ330Pに次ぐ2位、No.10のヒルが4位、No.12のアトウッドが9位と好位置につけ、本戦での活躍が期待されました。本戦はスタートと同時にギンサーが猛チャージ、先行するフェラーリ3台を抜いて2周目にトップに立ち、作戦通りに2位以下を引き離しに掛かります。一方ヒルのNo.10はスタートでエンジンストールを起こし最下位でスタート。ウェーバー製キャブレタージェットの目詰まりというトラブルを解決する間に順位は44位まで落ちてしまいます。


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↑この荒削りで戦闘的なフロントマスクは、それはそれで魅力的であります。


ォード勢に異変起きたのはレーススタートからおよそ4時間後。アトウッドのドライブするNo.12がミュルサンヌストレートで火災を起こしストップ。アトウッドは脱出して無事でしたが、なんと耐火性合成素材であるはずのフューエルホースがナイロン製で溶けてしまったという殆ど殺人的なミスによるものした。続いてサーティースのフェラーリとトップ争いをしていたギンサー/グレゴリー組のNo.11がリタイヤ。コロッティ製のトランスミッションのトラブルでした。


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↑この2台のモデルは同じ102号車の1964年ルマン・テストデイ仕様と本戦仕様。実車がこのように並ぶ事はありません。


最下位スタートとなったものの最後まで残ったヒル/マクラーレン組は、キャブレターのトラブルが解消した後は驚異的な追い上げを見せ、夜中にマクラーレンにドライバー交代して5位に浮上。その後ヒルが3分49秒2という最速ラップタイムを叩き出しますが、直後にギアボックストラブルを起こしてピットに帰って来ました。こうしてレース半ばを迎える事なくフォード勢は全車リタイヤとなり、挑戦初年のルマンは終わりを告げました。イタリア製トランスミッションがリタイヤの要因となった事は、皮肉と言えば皮肉な結果ではありました。


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↑こちらは京商のシェルビー・コブラ・デイトナクーペ。残念ながら’65年ルマンのクラス優勝車仕様ではありません。古い製品ですがこちらも素晴らしい出来。しかも購入した当時の価格は確か¥2,800-!!・・・良い時代でした。。。


フォードが全車リタイヤに終わったこの年のルマンはフェラーリの圧勝。トップ6の内5台をフェラーリが占める盤石の勝利でした。・・・しかし、ここにただ1台喰い込んだのがシェルビー・アメリカンがエントリーしたカーNo.5のコブラ・デイトナクーペ。ダン・ガーニー/ボブ・ボンデュラントのドライブで総合4位、GTクラス優勝という快挙を成し遂げました。フォードと同じように打倒フェラーリを目指していたキャロル・シェルビー。彼は翌1965年からのフォードGTプロジェクトに大きく関わる事になります。


以下、(出来る範囲で)総力特集!! FORD GT40 Vol.3; 1965年 怪物Mk-2登場に続く。


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Author:Ponys41
昭和41年丙午(ひのえうま)年生まれ

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