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(出来る範囲で・・・)総力特集!! フォードGT40 外伝; 儚くも美しき英国フォードのマシンたち

年初からお送りしてきたフォードGT特集、今回は外伝として英国フォード製のマシンをご紹介します。


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●はかなくも美しき・・・FORD P68


アメリカ本国のフォードは'67年をもってワークス活動を終了しましたが、入れ替わりに子会社である英国フォードがグループ6の3リッタープロトタイプでFIAのマニファクチャラーズ・チャンピオンシップにエントリーする事となりました。マシンの開発にはフォードGTやミラージュで手腕を発揮したレン・ベイリーを迎え、車両製作はアラン・マン・レーシングが担当。フォードGTもビックリの開発期間5カ月で完成に漕ぎ着けました。


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↑極めて流麗なフォードP68。No.7はフランク・ガードナー/リチャード・アトウッド組で本戦に出場しますが・・・。トラブルが続出して僅か6周でリタイヤ。No.8とはノーズ形状が僅かに異なっています。


アルミモノコックノボディにF1用のフォード・コスワースDFV 3リッターDOHC4バルブエンジンをデチューンして搭載。そのボディデザインはレーシングマシンとしては極めて流麗かつエアロダイナミクスに優れる物で、CD値0.27というスペックは'68年当時のクルマとしては異例ともいえる物でした。P68と言う名称は’68年のマシンである事を意味しています。


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↑予選でクラッシュしてしまったNo.8。ペドロ・ロドリゲス/クリス・アーウィン組で出場する予定でした・・・。ミニカーはミニチャンプス製で、良好なプロポーション、安定した仕上がりです。


ご紹介しているミニカーは’68年のニュルブルクリンク1000kmに出場した2台。・・・と言っても実際に本戦に出場したのはカーNo.7のみで、カーNo.8の方は予選でクラッシュ。イギリス期待の若手レーサー、クリス・アーウィンが重傷を負って引退を余儀なくされるという痛ましい結果に終わりました。本戦に出場したNo.7も、様々なトラブルが噴出して6周でレースをおえてしまったようです。残りの’68年シーズン、優勝直前まで善戦したレースもありましたが、結局P68は大きな戦績を残せぬままに終わりました。翌年の’69年には前後に巨大なウイングスポイラーを生やした異形のマシン、P69へと生まれ変わりますが、こちらも大きな成果を上げる事無くレースシーンから姿を消してしまいました。


 


●ご存じですか?FORD GT70


フォードGTと言えばルマンをはじめ60年代のレースシーンで大活躍したGT40は有名ですし、HWで製品化されたコンセプトカーのGT90をご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。・・・ではGT70と言ったら?皆さんはご存知でしょうか?




YouTube: Ford GT70


フォードGT70はサーキットで大暴れしたGT40とは異なり、ヨーロッパフォードがラリーフィールドに向けて開発していたクルマです。’60年代、フォードはエスコートでWRC選手権を戦い高いポテンシャルを発揮していましたが、モンテカルロなど高速ステージの多いコースではアルピーヌA110やポルシェ911に対して劣勢を強いられていました。そうしたいわばラリー用スペシャルマシンとも言えるライバルへの回答として市販をも視野に入れて開発が進められていました。GT70の意味は車高が70インチ・・・ではなく(笑)、開発年次の1970年を指しているようです。


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↑コンパクトなミッドシップスポーツとしてなかなか魅力的なまとまりを見せるフォードGT70。量産されていたら、ランチア・ストラトスの強力なライバルになっていたかも知れません。


GT70に関する情報はネット上でも少ないのですが、コンパクトなモノコックのミッドシップクーペで搭載エンジンは最大3L V6までを検討していたようです。開発にはスポーツダイレクターのスチュアート・ターナーと共にフォードGT40や↑P68でも手腕をふるったレンベイリーが関わったとされています。スタイリングはやや腰砕け感があるものの(笑)、70年代を見越した直線的で近代的なものです。(このクルマをベースとした全く別デザインのコンセプトカーも存在。)コンパクトなミッドシップスポーツ―カーとしてなかなか魅力的ではないかと思います。


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↑シンプル極まりない造りのミニカーはイタリアのポリトーイEシリーズの1台。他にコーギーもこのクルマを製品化していたようです。今日では歴史に埋もれてしまっている感もありますが、当時は注目を集めたクルマだったのかも知れませんね。


様々な記述を総合すると、6台分のシャシーと実走可能なプロトタイプ3~4台が製作され、数戦のラリーに出場した実績があるようです。前述の通り市販化も視野に入れた開発が進められていましたが、収益性の悪いスポーツカー生産に反対する労組のストライキなどにより、残念ながらその計画は凍結されてしまったと言う事のようです。


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↑ホント、この手のマイナーなレーシングカー/スポーツカーを造らせたら、ポリトーイの右に出るものは無いかもです(笑)。


アメリカ本国のフォード本体のようにビッグ・マネーを投入出来なかった事もあってか、英国フォードのマシン達は大きな成果を残す事無く消えてしまいました。しかし、そのスペックやポテンシャルには侮りがたい物が感じられ、開発や熟成が更に進んでいたら・・・と、ミニカーを眺めながらついそんな想いを巡らせてしまいました。


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(出来る範囲で・・・)総力特集!! フォードGT40 Vol.6; 1966年、Jの悲劇。

今回はちょっと悲しいお話です。


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'66年、悲願の勝利が幸運や偶然による物ではなかったと証明するため、フォードは翌年もルマンに参戦する事を決定しました。しかし'67年のフォードのドライバー・ラインナップには、或る重要な1人の男の名前がありませんでした。・・・その名前とは ― ケン・マイルズ ―。


先回記したように、’66年ルマンの栄冠は最後の最後でケン・マイルズの手をすり抜けてしまい、同時にデイトナ、セブリングに続く耐久レース3冠という前人未到の偉業も夢と消えてしまいました。自らのスピードショップを経営してローカルレースでその名を馳せ、長年シェルビー・アメリカンで開発者・テストドライバーとしてマシンの開発に従事して来た彼は、F1など華やかな国際格式レースの表舞台に立つことはありませんでした。しかしシェルビー・アメリカンがフォードのワークス活動を請け負った事で、デイトナやセブリングでの優勝など、47歳というレーサーとしては異例の遅咲きでスポットライトを浴びる存在となっていたのです。


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↑貴重なFORD-Jの1/43ミニカーはイタリアのポリトーイ製(Art.586)。リアスポイラーが追加された後の姿でモデル化されています。シンプルな造りながらシャシーやホイールまで金属製でずっしりとした重さがあります。(後期には樹脂一体ホイール&タイヤのモデルもあり。)実車はこのように真紅に塗られた事はなかったのではないかと思われます。


フォードは’66年シーズンをMk-2で戦いながら、一方で次世代マシンの開発を進めていました。そのマシンはFIAの”アペンディックスJ”レギュレーションに合致する事から”Jカー”と呼ばれ、Mk-2の弱点であった車両重量軽減を開発の主眼としていました。メインモノコックの構造を見直し、スチールに代わってアルミのハニカム(蜂の巣状)材を2枚のアルミ薄板で挟んだ部材を採用。また'66年の規制緩和に合わせ、コックピットの幅が狭められて空気抵抗の軽減が図られました。プロジェクトは'65年にスタートし66年のルマンテストデイにも出走。目論んでいたポテンシャルを発揮する事が出来ず計画は一時棚上げとなりましたが、67年ルマン参戦に際しMk-2は限界に達しつつあると感じていたフォードはJカーの開発を再開します。しかし・・・


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↑FORD-Jのサイドビュー。空力改善も大きな課題でしたが、リアまで水平に伸びたルーフが一種独特なスタイルを形作っています。(フェラーリ250GTOのブレッド・バンにも似ているような・・・)ルーフ上に突き出ているのは後方視界を確認するためのペリスコープ型リアビューミラー。


ルマンから僅か2カ月余りの1966年8月17日、カリフォルニア・リバーサイド―。この日もマイルズはフォード-Jのテスト走行を繰り返していました。サーキットには息子のピーター・マイルズも友人と共に訪れていました。サーキットのファステストラップ記録を塗り替える激しいテストも終わりに近づき、時速160キロというレーシングマシンにとっては巡航速度ともいえるスピードでコーナーに差し掛かった時―。マシンは何故か急にコントロールを失ってコースアウト。FORD-Jは3mの盛り土から転落して大破・炎上。ケン・マイルズはマシンから投げ出され―そのまま帰らぬ人となってしまったのでした。・・・ルマン優勝という彼の望みは叶えられる事はありませんでした。


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↑ケン・マイルズの命を奪ったFORD-J。そのコンセプトはFORD GT Mk-4へと進化・継承されました。


マシントラブルかドライビングミスか・・・その後事故調査が徹底的に行われましたが、炎上したマシンは損傷が激しく今日に至るまでその原因は究明されていません。今回の特集に際してご紹介した本「フォードvsフェラーリ 伝説のルマン」には、ケン・マイルズに対する心情を吐露するキャロル・シェルビーの言葉が綴られています。ここでそれを詳しく記す事はしませんが、シェルビーの心からの言葉には胸が熱くなりました。ケンマイルズの死によりJカープロジェクトは再び凍結されますが、その後11月に開発を再開。そのコンセプトはGT Mk-4に継承・改良され、’67年のルマンを目指す事となります―。


以下、(出来る範囲で)総力特集!! FORD GT40 Vol.7に続く。


●「総力特集 フォードGT40 Vol.1 1963年 GTプロジェクト始動」補追。


この特集の第1回、フォードGT開発の基礎となったローラGT(Mk-6)に関しては、お友達のうる様への連動でご紹介させて頂きました。その後幸運な事に当方もポリトーイのローラGTを入手する事が出来ましたのでご紹介しておきます。


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↑フォードGTの礎となったローラGT。初期のフォードGTと比べても更にコンパクトなマシンです。ミニカーは精巧なポリトーイのMシリーズの製品(Art534)。ドア周辺のチップ以外は比較的きれいなコンディションですが、2色のストライプが製品オリジナルか否かは当方は確証が持てていません。


ローラGT(ローラMk-6)は、それまで小型のマシンでレースに出場していたエリック・ブロードレイが総合優勝を視野に入れて製作した野心作。アメリカ製V8エンジンのミド搭載を前提としていた事、及びツインチューブ式モノコックボディがフォードの構想と近かった為、契約を結んでフォードが2台を購入。フォードGT開発初期に構造検討や各種テストに供されました。フォードとの契約締結前の63年にはニュルブルクリンクとルマンに出場しましたが、どちらもリタイヤに終わったようです。


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↑リアウインドー越しに見えるエンジンやトランスミッション、サブフレームなどは見応えタップリです。


ミニカーはポリトーイMシリーズの1台で、深く切れ込んだドアが開閉し、リアウインドーを通してエンジンやトランスミッションなどを見ることが出来る精巧な仕上がりとなっています。僅か3台しか製作されず、目立った戦績もなかったこのマシンを製品化したポリトーイ、流石はモータスポーツ好きなイタリアのブランドだなと思います。


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↑レイアウトや構造がフォードGTのベースとなったとは言え、そのスタイリングは全く異なる物です。


今回メイン時事でご紹介したFORD G.T.J.は同じポリトーイのE(エクスポート)シリーズの1台。Mシリーズと比較するとシンプルな造りですが、レジンキット等を除けば1/43では唯一の製品化ではないかと思われます。こちらもフォードGTの歴史を語る上では外せない貴重な1台と言えそうです。


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↑このマイナーなレーシングカー2台を製品化してくれたポリトーイに感謝です。


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Author:Ponys41
昭和41年丙午(ひのえうま)年生まれ

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