1/43cu.in.

1/43キュービック・インチ アメリカ車を1/43モデルでアーカイブ

 

(出来る範囲で・・・)総力特集!! フォードGT40 Vol.8; 1967年ルマン、もう1つのストーリー。

今回はFORD GTをベースにしたガルフカラーのマシンをご紹介します。


Bz_mirage_m1_01


先回も記した通り、'67年のルマンにはMk-4, Mk-2B, Mk-1合わせて10台のフォードGTが出場しましたが、その他にフォードGTをベースとしたマシンが2台エントリーしていました。この2台のマシンを出走させたのはJWA(JWオートモーティブ)、オーナーの一人は初期フォードGTプロジェクトでFAV(フォード・アドバンスド・ビークルズ)のマネージング・ダイレクターとして開発に携わったジョン・ワイヤーその人でした。


Bz_mirage_m1_02


Bz_mirage_m1_03

↑スモールブロックのフォードGTをベースに空力改善と軽量化、大排気量化によるパワーアップを図ったミラージュM1。キャビンの小さい独特のプロポーションが特徴的です。カーNo.14はデビット・パイパー/ディック・トンプソン組の10001。スタートからおよそ4時間後に吸気バルブ破損でリタイヤ。


ルマン初挑戦の’64年、フォードGTの戦績が全レース全車リタイヤという残念な結果に終わると、フォードはワークス活動をシェルビー・アメリカンに委ね、FAVはホモロゲーション取得のための50台のフォードGT生産やプライベートチーム向けのアフターサービスなどバックアップ業務に回されてしまいます。そしてシェルビーアメリカンを中心とした活動で成果の出た’66年にFAVが解散されると、ジョン・ワイヤーはFAVの設備一式を譲り受け、もう一人のJ・W=ジョン・ウィルメントと共にJWAを立ち上げて独自にレース活動を行う事となりました。


Bz_mirage_m1_04


Bz_mirage_m1_05

↑モデルはビザールのレジン完成品。特異なプロポーションをよく捉えています。2台の'67ルマン出場車の他、同年のスパ・フランコルシャン1000km優勝車も製品化。


一方、レース活動には莫大な資金が必要となりますが、ここで大きな役割を果たす事になるのがアメリカの石油会社、ガルフオイルでした。きっかけは’66年、当時ガルフオイルの副社長であったグラディ・デイビスがFAVから1台のフォードGT(1049)を手に入れた事に始まります。フォードGTによるレース参戦により、モータースポーツにおける企業宣伝効果の大きさを実感したデイビスはJWAへのスポンサードをガルフオイルに提言。それが承認され、以降JWAとガルフの密接な関係が続く事となりました。


Bz_mirage_m1_06


Bz_mirage_m1_07

↑No.15は後に”ルマン男”の異名を取る事になるジャッキー・イクス/ブライアン・ミューア組の10003。しかし、この年は2時間そこそこでヘッドガスケットを破損しリタイヤ。


最終的にはオリジナルマシンでの参戦を目論んでいたJWAでしたが、初年度はフォードGTをベースとしたマシンで参戦する事とし、ミラージュM1が誕生します。ミラージュM1はスモールブロックエンジンのフォードGT Mk-1をベースとして”ルマンノーズ”をデザインしたレン・ベイリーを中心に開発が進められ、ルーフセクションのアルミ化による軽量化、曲率の高いフロントウインドシールドや効率的なNACAインテークダクトによる前面投影面積の縮小、空気抵抗軽減が図られていました。エンジンはフォードGTのスモールブロック4.7L(289cu.in.)を排気量アップした5Lやホールマン&ムーディーの5.7Lが搭載されました。


Bz_mirage_m1_08


Bz_mirage_m1_09

↑ここまでフォードGT系のバリエーションを揃えてくれたビザールには本当に感謝です。・・・スパークと合わせ、まだまだ予定されている製品があるようです。


ミラージュM1は最終的にM10001, 10002, 10003の3台が製作されましたが、先ずは4月のルマンテストデイに10001と10002の2台が参加。スモールブロックのスタンダードなフォードGTに対し1周12.2秒も速いタイムを叩き出し、5月のスパ・フランコルシャン1000kmレースではジャッキー・イクス/ディック・トンプソン組の10003が優勝するなど、早々にそのポテンシャルの高さを見せつけました。そして迎えた10月のルマン、JWAはカーNo.14(10001)デビット・パイパー/ディック・トンプソン組とNo.15(10003)ジャッキー・イクス/ブライアン・ミューア組の2台をエントリーしました。


Bz_mirage_m1_10

↑ミラージュM1 M10003号車はルーツとも言うべきフォードGT 1075へと生まれ変わり'68年シーズンを戦う事になります。


・・・しかしJWA & ミラージュM1のルマン挑戦はあっという間に終わってしまいました。まずイクス/ミューア組のNo.15が2時間目にヘッドガスケット破損によりリタイヤ。パイパー/トンプソン組のNo.14も3時間目の終盤に吸気バルブ破損でリタイヤと、2台揃って早々に姿を消してしまったのでした。・・・翌'68年シーズンはアメリカ車の進出に脅威を感じたFIAがエンジン排気量に制限を設けた事により、ミラージュM1もそのままでは参戦できない状況となってしまいます。フォードGTの進化・改良型として誕生した3台のミラージュM1の内、10002と10003の2台は数奇な運命を辿ってルーツであるフォードGTへと生まれ変わり、大きなドラマを生む事になるのです。


― 以下、(出来る範囲で)総力特集!! FORD GT40 Vol.9に続く。―


スポンサーサイト

(出来る範囲で・・・)総力特集!! フォードGT40 Vol.7; 1967年、再びの勝利。

・・・今回は画像テンコ盛りでお送りします(笑)。


Ixo_67_ford_gt_mk4_01


'66年の内にウォルト・ハンスゲン、ケン・マイルズという2人のベテランドライバーを失ったフォードでしたが、11月からFORD-Jの開発を再開。・・・しかしJカーはそれまでのMk‐2を上回るポテンシャルをなかなか発揮する事が出来ませんでした。主にボディの空力面に問題があった事からデザインが大幅に見直され、前後オーバーハングを延長、後端まで水平だった特徴的なリアカウルはなだらかなファストバックルーフに改められました。効果は絶大で最高速度が大きく伸びると共に、走行安定性も増すという結果がもたらされました。フォードGT Mk-4の誕生です。


Ixo_67_ford_gt_mk4_02

↑JカーとMk-4のスタイリングの比較。ミニカーの製造時期やメーカが異なるので単純には比べられませんが、似た形状のキャビン部分に対し、前後カウル形状が大きく変わっている事がお分かり頂けるでしょうか?


Jカー~Mk-4の開発が遅れた事で、’67年シーズン第1戦のデイトナ24時間をMk-2で戦ったフォードでしたが、フェラーリの新型マシン330P-4に’66ルマンのお返しとばかりに1-2-3フィニッシュを決められてしまいます。そこでMk-4の開発ピッチを上げて第2戦のセブリング12時間レースに投入し、マクラーレン/アンドレッティのドライブで見事デビューウインを飾ります。その後フォードは’67年シーズンには一切参戦せず、ルマンに照準を絞って開発・熟成を進める事となりました。


Ixo_67_ford_gt_mk4_03


Ixo_67_ford_gt_mk4_04

↑Mk-4はイクソがルマンにエントリーした全4台を製品化。カーNo.1はシェルビーアメリカンからエントリー。ダン・ガーニー/A.J.フォイト組はフォードに2回目のルマン優勝をもたらしました。


Ixo_67_ford_gt_mk4_05


Ixo_67_ford_gt_mk4_06

↑同じくシェルビーアメリカンからエントリーのカーNo.2、ブルース・マクラーレン/マーク・ダナヒュー組は途中リアカウルが脱落するというアクシデントに見舞われながらも4位で完走。


そして迎えた’67年ルマン―。フォード陣営は4台のMk-4、3台のMk-2B(Mk-2の改良版)、2台のGT40 Mk-1という計10台の陣容で参戦。対するフェラーリは7台の330P-4及びP3とこの年もフォードvsフェラーリの全面対決の様相を見せていました。また、前年に続きシャパラルも2台の2Fをエントリーし侮れない速さを見せていました。予選ではフィル・ヒルのシャパラル2Fを2位に挟んで1,3,4位をフォードが占める結果となりました。


Ixo_67_ford_gt_mk4_07


Ixo_67_ford_gt_mk4_08

↑カーNo3及びNo4はホールマン&ムーディーからのエントリー。カーNo.3、マリオ・アンドレッティ/ルシアン・ビアンキ組は午前3時頃にフロントブレーキをロックさせてコース上でストップ。Mk-2B 2台を巻き込んだクラッシュの原因となってリタイヤ。直前のブレーキパッド交換に不手際があったためと言われています。


Ixo_67_ford_gt_mk4_09


Ixo_67_ford_gt_mk4_10

↑Car No.4、ロイド・ルビー/デニス・ハルム組は7時間目にコースアウトし、Mk-4の中では最も早いタイミングでリタイヤ。


レース本戦では、やはりフォードとフェラーリそしてシャパラルを含めた熾烈な闘いが繰り広げられます。ナイトセッションに入るとフォードが上位を独占したかに見えましたが、カーNo.3 アンドレッティのマシンの前輪がロックしてコースを塞いだ所に後続2台のMK-2が絡み、一挙に3台共リタイヤするといった波乱もありました。


Ixo_67_chaparral_2f_01


Ixo_67_chaparral_2f_02

↑カーNo.7及びNo.8の2台がエントリーしたシャパラル2Fは共にリタイヤ。モデルはイクソ製で残念ながらフィル・ヒルのドライブで予選2位になったNo.7ではありません。・・・しかし定価の1/4程度という破格値で入手出来ました(笑)。


レースは最終的にはポールポジションからスタートし、時にマシンが壊れるのではないかという速さで周回を重ねたダン・ガーニー/A・J・フォイト組のカーNo.1が激しく追い上げるカーNo.21のフェラーリ330P4に5週の差をつけてトップチェッカーを受け、途中でリアカウルが吹き飛ぶというアクシデントに見舞われたブルース・マクラーレン/マーク・ダナヒュー組のカーNo.2も4位でフィニッシュしました。カウルの修理にはシェルビーアメリカンのクルーの驚くべき手腕が発揮され、ガムテープやキャロルシェルビーのズボンのベルトまでもが使われたと言われています。


Ixo_67_ferrari_p4_01


Ixo_67_ferrari_p4_02

↑フェラーリの意地を見せ、2位でフィニッシュしたカーNo.21、M.パークス/L.スカルフィオッティ組の330P4。ミニカーはイクソ製で欧州でルマン出場車を扱った書店系アイテムとして発売された物。日本の書店で販売されたフェラーリ・コレクションには残念ながら含まれませんでした。


Ixo_67_ferrari_p4_03


Ixo_67_ferrari_p4_04

↑3位でフィニッシュしたW.メレス/J.ビュアリス組のマシンは日本の書店で販売されたフェラーリコレクションからの1台。イクソの330P4は実車のグラマラスなフォルムを良く捉えていると思います。高価なレジンやホワイトメタルモデルでなくても、当方は満足です。


対するフェラーリもカーNo.21、M.パークス/L.スカルフィオッティ組の330P4が2位、カーNo.24、W.メレス/J.ビュアリス組の330P4が3位と意地を見せました。フォードMk-4が排気量無制限クラスだったのに対し330P4は排気量5リッター以下クラスであったので、フォード、フェラーリ共にクラス優勝という結果でした。そしてフォードがルマン以降参戦しなかった事もあり、この年のマニファクチャ―ズタイトルはフェラーリの物となったのでした。


Ixo_67_ford_gt_mk4_11


66年に続く、しかもメークス、ドライバー共にアメリカという完璧な勝利―。こうして2年連続でルマンを制したフォードは、ヨーロッパにおけるブランドイメージ向上という初期の目的は達成したとしてワークスでのレース活動から手を引きました。しかしこの年には、プライベイタ―となったジョン・ワイヤーのJWAからフォードGTをベースとするマシンがエントリーしていました。そしてその活動は’68年、’69年のルマンへと繋がってゆくのでした・・・。


以下、(出来る範囲で)総力特集!! FORD GT40 Vol.8に続く。


1967年 フォードGTルマン出場車リスト


●シェルビー・アメリカン


Mk-4 Car No.1(J-5) ダン・ガーニー/A・J・フォイト


Mk-4 Car No.2(J-6) ブルース・マクラーレン/マーク・ダナヒュー


Mk-2B Car No.57(1047 or 1031) ロニー・バックナム/ポール・ホーキンス


●ホールマン&ムーディー


Mk-4 Car No.3(J-7) マリオ・アンドレッティ/ルシアン・ビアンキ


Mk-4 Car No.4(J-8) ロイド・ルビー/デニス・ハルム


Mk-2B Car No.5(1031) フランク・ガードナー/ロジャー・マクラスキー


●フォード・フランス


Mk-2B Car No.6(1015) ジョー・シュレッサー/ギ・リジェ (整備はH&Mが担当)


Mk-1 カーNo.16(1020) ヘンリー・ガードナー/ピエール・デュメイ


●スク―デリアフィリピネッティ&スクーデリア・ブレシア・コルス


Mk-1 Car No.18(1042) ウンベルト・マグリオーリ/マリオ・カソーニ


●JWA & Dawnay Racing


Mk-1 Car No.62(1026) マイク・サーモン/ブライアン・レッドマン


(出来る範囲で・・・)総力特集!! フォードGT40 Vol.6; 1966年、Jの悲劇。

今回はちょっと悲しいお話です。


Politoys_ford_j_01


'66年、悲願の勝利が幸運や偶然による物ではなかったと証明するため、フォードは翌年もルマンに参戦する事を決定しました。しかし'67年のフォードのドライバー・ラインナップには、或る重要な1人の男の名前がありませんでした。・・・その名前とは ― ケン・マイルズ ―。


先回記したように、’66年ルマンの栄冠は最後の最後でケン・マイルズの手をすり抜けてしまい、同時にデイトナ、セブリングに続く耐久レース3冠という前人未到の偉業も夢と消えてしまいました。自らのスピードショップを経営してローカルレースでその名を馳せ、長年シェルビー・アメリカンで開発者・テストドライバーとしてマシンの開発に従事して来た彼は、F1など華やかな国際格式レースの表舞台に立つことはありませんでした。しかしシェルビー・アメリカンがフォードのワークス活動を請け負った事で、デイトナやセブリングでの優勝など、47歳というレーサーとしては異例の遅咲きでスポットライトを浴びる存在となっていたのです。


Politoys_ford_j_02


Politoys_ford_j_03

↑貴重なFORD-Jの1/43ミニカーはイタリアのポリトーイ製(Art.586)。リアスポイラーが追加された後の姿でモデル化されています。シンプルな造りながらシャシーやホイールまで金属製でずっしりとした重さがあります。(後期には樹脂一体ホイール&タイヤのモデルもあり。)実車はこのように真紅に塗られた事はなかったのではないかと思われます。


フォードは’66年シーズンをMk-2で戦いながら、一方で次世代マシンの開発を進めていました。そのマシンはFIAの”アペンディックスJ”レギュレーションに合致する事から”Jカー”と呼ばれ、Mk-2の弱点であった車両重量軽減を開発の主眼としていました。メインモノコックの構造を見直し、スチールに代わってアルミのハニカム(蜂の巣状)材を2枚のアルミ薄板で挟んだ部材を採用。また'66年の規制緩和に合わせ、コックピットの幅が狭められて空気抵抗の軽減が図られました。プロジェクトは'65年にスタートし66年のルマンテストデイにも出走。目論んでいたポテンシャルを発揮する事が出来ず計画は一時棚上げとなりましたが、67年ルマン参戦に際しMk-2は限界に達しつつあると感じていたフォードはJカーの開発を再開します。しかし・・・


Politoys_ford_j_06

↑FORD-Jのサイドビュー。空力改善も大きな課題でしたが、リアまで水平に伸びたルーフが一種独特なスタイルを形作っています。(フェラーリ250GTOのブレッド・バンにも似ているような・・・)ルーフ上に突き出ているのは後方視界を確認するためのペリスコープ型リアビューミラー。


ルマンから僅か2カ月余りの1966年8月17日、カリフォルニア・リバーサイド―。この日もマイルズはフォード-Jのテスト走行を繰り返していました。サーキットには息子のピーター・マイルズも友人と共に訪れていました。サーキットのファステストラップ記録を塗り替える激しいテストも終わりに近づき、時速160キロというレーシングマシンにとっては巡航速度ともいえるスピードでコーナーに差し掛かった時―。マシンは何故か急にコントロールを失ってコースアウト。FORD-Jは3mの盛り土から転落して大破・炎上。ケン・マイルズはマシンから投げ出され―そのまま帰らぬ人となってしまったのでした。・・・ルマン優勝という彼の望みは叶えられる事はありませんでした。


Politoys_ford_j_04


Politoys_ford_j_05

↑ケン・マイルズの命を奪ったFORD-J。そのコンセプトはFORD GT Mk-4へと進化・継承されました。


マシントラブルかドライビングミスか・・・その後事故調査が徹底的に行われましたが、炎上したマシンは損傷が激しく今日に至るまでその原因は究明されていません。今回の特集に際してご紹介した本「フォードvsフェラーリ 伝説のルマン」には、ケン・マイルズに対する心情を吐露するキャロル・シェルビーの言葉が綴られています。ここでそれを詳しく記す事はしませんが、シェルビーの心からの言葉には胸が熱くなりました。ケンマイルズの死によりJカープロジェクトは再び凍結されますが、その後11月に開発を再開。そのコンセプトはGT Mk-4に継承・改良され、’67年のルマンを目指す事となります―。


以下、(出来る範囲で)総力特集!! FORD GT40 Vol.7に続く。


●「総力特集 フォードGT40 Vol.1 1963年 GTプロジェクト始動」補追。


この特集の第1回、フォードGT開発の基礎となったローラGT(Mk-6)に関しては、お友達のうる様への連動でご紹介させて頂きました。その後幸運な事に当方もポリトーイのローラGTを入手する事が出来ましたのでご紹介しておきます。


Politoys_lola_gt_01


Politoys_lola_gt_02

↑フォードGTの礎となったローラGT。初期のフォードGTと比べても更にコンパクトなマシンです。ミニカーは精巧なポリトーイのMシリーズの製品(Art534)。ドア周辺のチップ以外は比較的きれいなコンディションですが、2色のストライプが製品オリジナルか否かは当方は確証が持てていません。


ローラGT(ローラMk-6)は、それまで小型のマシンでレースに出場していたエリック・ブロードレイが総合優勝を視野に入れて製作した野心作。アメリカ製V8エンジンのミド搭載を前提としていた事、及びツインチューブ式モノコックボディがフォードの構想と近かった為、契約を結んでフォードが2台を購入。フォードGT開発初期に構造検討や各種テストに供されました。フォードとの契約締結前の63年にはニュルブルクリンクとルマンに出場しましたが、どちらもリタイヤに終わったようです。


Politoys_lola_gt_05

↑リアウインドー越しに見えるエンジンやトランスミッション、サブフレームなどは見応えタップリです。


ミニカーはポリトーイMシリーズの1台で、深く切れ込んだドアが開閉し、リアウインドーを通してエンジンやトランスミッションなどを見ることが出来る精巧な仕上がりとなっています。僅か3台しか製作されず、目立った戦績もなかったこのマシンを製品化したポリトーイ、流石はモータスポーツ好きなイタリアのブランドだなと思います。


Politoys_lola_gt_03


Politoys_lola_gt_04

↑レイアウトや構造がフォードGTのベースとなったとは言え、そのスタイリングは全く異なる物です。


今回メイン時事でご紹介したFORD G.T.J.は同じポリトーイのE(エクスポート)シリーズの1台。Mシリーズと比較するとシンプルな造りですが、レジンキット等を除けば1/43では唯一の製品化ではないかと思われます。こちらもフォードGTの歴史を語る上では外せない貴重な1台と言えそうです。


Politoys_ford_j_07

↑このマイナーなレーシングカー2台を製品化してくれたポリトーイに感謝です。


(出来る範囲で・・・)総力特集!! フォードGT40 Vol.5; 1966年悲願のルマン初制覇。

今回の特集は1回あたりの撮影台数が多くて大変です。。。(笑)


Ixo_66_ford_mk2_01

↑フォード念願のルマン初制覇!3台揃ってチェッカーフラッグを受けたMk-2軍団。・・・しかしこのデモンストレーションがレースリザルトに大きな影響を及ぼす事となりました。


'66年のルマン、4月のテストデイでは悲劇がフォード陣営を襲いました。雨が降り始め、ピットからのスローダウン指示を無視したウォルト・ハンスゲンのマシンがハイドロプレーニング現象を起こしてコントロールを失いクラッシュ。ハンスゲンは5日後に帰らぬ人となったのでした。折しもこの頃、ラルフ・ネーダーが著書「自動車はいかなるスピードでも危険だ」で自動車の安全性に対して問題提起をして話題を集めており、フォードのルマン参戦も危ぶまれましたが辛くも活動継続が決断され、6月にはいよいよルマン本戦の時がやってきました。


Ixo_66_ford_mk2_02


Ixo_66_ford_mk2_03

↑イクソは’66年ルマンに出場したフォードGT Mk-2を8台全て製品化。カーNo.4~6はホールマン&ムーディーからのエントリー。カーNo.4(1032号車)はポール・ホーキンス/マーク・ダナヒュー組のドライブ。ギアボックストラブルで5時間目にリタイヤ。ブロンズ・メタリックにグリーンの識別カラー。


予選ではダンガーニーを筆頭に1位~4位をフォードが独占、その強さを見せつけます。一方フェラーリでは重大な事件が起きていました。かねてより関係が良くなかったエースドライバーのジョン・サーティースとレーシングチームマネージャーのユージェニオ・ドラゴーニがレース戦略を巡って激しく対立、サーティースがレース出場を拒否するという最悪の事態に至ります。結局サーティースを欠いたフェラーリ陣営は予選では5位が最上位という劣勢に立たされる結果となってしまったのでした。


Ixo_66_ford_mk2_04


Ixo_66_ford_mk2_05

↑カーNo.5(1016号車)ロニー・バックナム/ディック・ハッチャーソン組は見事24時間を走り切り、トップから12周遅れながら3位でフィニッシュ。ホールマン&ムーディーの面目を保ったと言えましょうか。ゴールドにピンクの識別カラー。


そして1966年6月18日土曜日の午後4時、ゲストグランドマーシャルであるヘンリーフォード2世の手によってチェッカーフラッグが振り下ろされ、本戦レースがスタート。レース序盤はGT Mk-2勢とフェラーリ330 P3勢が激しい上位争いを繰り広げますが、フォード、フェラーリ双方にトラブルによるリタイヤが続出。レース中盤にはマイルズ/ハルム組のNo.1、ガーニー/グラント組のNo..3、マクラーレン/エイモン組のNo.2、バックナム/ハッチャーソン組のNo.5が1位~4位を独占する状況となりました。18時間目にNo.3がガスケット破損でリタイヤするという波乱があったものの、その後はMk-2が1~3位を独占したまま、ついに挑戦3年目にしてフォードが栄光のチェッカーフラッグを受け、ルマン制覇を成し遂げたのでした。


Ixo_66_ford_mk2_06


Ixo_66_ford_mk2_07

↑カーNo.6(1031号車)は若かりし日のマリオ・アンドレッティ/ルシアン・ビアンキ組のドライブ。7時間目にエンジントラブルでリタイヤ。ホールマン&ムーディーから出場したこのマシンがシェルビーアメリカンっぽいカラーリングなのは不思議な感じがします。


記念すべきルマンでの勝利、しかも1~3位を独占するという完璧なリザルトでしたが、その順位を巡っては大きな問題が発生しました。レースはほぼケン・マイルズ、デニスハルム組の勝利が確実なように見えました。しかし悲願の勝利をより強烈にアピールするため、3台が連なったパレード走行でフィニッシュするという決定がフォード陣営の上層部で成され、トップのケン・マイルズにペースダウンの指示が出されたのです。やがてケン・マイルズのNo.1、ブルース・マクラーレンのNo.2、ハッチャーソンのNo.5の3台が連なって悲願のチェッカーフラッグを受けたのですが・・・・。


Ixo_66_ford_mk2_08


Ixo_66_ford_mk2_09

↑英国のアラン・マンレーシングからはモノコックボディをアルミに置き換え軽量化を図った2台のMk-2がエントリー。カーNo.7(XGT-2)はグラハム・ヒル/ブライアン・マイアのドライブ。8時間目にサスペンションを壊してリタイヤ。シルバーにマットブラックのフロントカウル、黒のストライプという渋いカラーリング。


ルマンでは最も走行距離の長かったクルマが優勝という明確なレギュレーションがあるため、同時にゴールしたマイルズとマクラーレン(実際にはゴールの瞬間にはマクラーレンが僅かに前に出ていた。)では予選で順位の低かったマクラーレンの方が走行距離が長かったとみなされ、逆転でマクラーレン・エイモン組の優勝という結果になったのでした。勝利の栄冠は、デイトナ24時間、セブリング12時間に続きルマン24時間を合わせた前人未到の耐久レース三冠を目指していたケン・マイルズの手をすり抜け、ブルース・マクラーレン/クリス・エイモンの頭上に輝く事となりました。


Ixo_66_ford_mk2_10


Ixo_66_ford_mk2_11

↑カーNo.8(XGT-1)はジョン・ウイットモア/フランク・ガードナー組。5時間余りでクラッチトラブルの為リタイヤ。No.7とは一転してイエローにブラックのストライプという明るいカラーリング。


・・・こうして思わぬ形で’66年のルマンは幕を閉じました。3年目にしてようやくフォードに訪れた栄光の瞬間。しかしフォードGTプロジェクトのワークス活動がシェルビー・アメリカンに委譲された後、その開発を中心となって担って来たケン・マイルズの無念は想像に難くありません。きっと彼は翌年のリベンジを心に誓っていたのではないかと思います。が、しかし・・・。


Ixo_66_ford_mk2_12

以下、(出来る範囲で)総力特集!! FORD GT40 Vol.6に続く。


1/43cu.in.検索タグ
過去記事の検索は以下のタグをご利用下さい。
プロフィール

Ponys41

Author:Ponys41
昭和41年丙午(ひのえうま)年生まれ

カレンダー
01 | 2012/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 - - -
ビジュアルリンク
















QRコード
QR
検索フォーム
FC2カウンター

1234567891011121314151617181920212223242526272829 02